初めての就職その③

 🚐💨  教習指導員としての仕事が始まってからのお話し・・・。 🏎💨

 職についたところでは最年少だった自分は、その後『身体障害者専用員』としてのスキルを習得するために、数日の泊まり込み講習にいきました。これは、特殊車両を使用しての運転指導をする勉強でした。

 まずは車両の乗り降り。車椅子からの乗車、降車の体験。これは自分としては初めてですが、車椅子を常時使用している人には、少しのコツを掴んでもらうことですぐにできるものかと思いました。

 次には、それぞれの不自由な箇所を補うための補助装置を使用しながらの運転操作。具体的には、右が不自由な場合は、左のみでハンドル等の操作を行うための補助器具を使用した運転(左右逆もあり)。右が不自由な場合の、左のみで運転するための補助器具を使用した運転。また、両が不自由な場合の両のみで運転するための補助器具を使用した運転。

 これらの補助器具は車両に合わせて専用に作られていて、その当時にしてはかなり使いやすくできており、自分としては違和感なく操作することができました。ただ、急激な運転操作が発生する場面にはやはり対応が少し難しいかと感じることはありました。

 数日の研修を終了して教習所に戻り、ハンディキャップの専用車両でそれぞれの器具の取り付け練習、使用感の確認などをしました。

 需要としては、当時3〜4名ほど(不確か・・・。)だったかと思います。一人づつの入所受付で、その方が卒業するまでの運転に関しては全て担当していました。学科に関しては通常の授業と同じなのでそちらに行かれていました。

 数年後この特殊車両も古くなり、需要も少ないことや指導員の固定や専用車両の購入コストなどもあったのかと思いますが、新しく車両を入れ替えることなくハンディキャップ受け入れは終了しました。

 続いてはメインの普通自動車の指導に関してですが、当時はAT限定免許はまだ無く、操作面では半クラスタートと速度に合わせたギアチェンジ技術、ハンドル操作、バック技術。あとはそれに伴う視野の拡大と見るべき場所とタイミングなど。この辺が運転のキーポイントになっていると思っていました。

 自分の目標『自分のコピー』を作り出して安全運転者を送り出すこと。でした・・・。

 当時の生徒はそれなりに運転に関しても興味があり、向上心も持ち合っていたと思います。こちらが要求するレベルに達しない場合には、もう一度練習(俗に言う落とす?)をしてもらうことも普通でしたし納得もされていました。

 指導に関しても、『自分のコピー』レベルに近づけるために多少厳し目にしていました。それから数年、『AT限定』ができて、自分としてはこの『AT限定』で運転技術の何を教えるの?と思ってしまっていましたが・・・・・・。

 この頃からです、世の中的に『運転免許』必需品ではなくなり、『嗜好品』に変わり始めたように思います。昔は『運転免許』くらいは持っていないと就職した時に困るレベルでしたが、これが不要になり始めたこと。自動車業界がレベルアップしてきて高性能のAT車両が主流になり、MT車両の必要性が少なくなってきたこと。などの流れからかと思います。

 また、女性の社会進出が活発化していき、運転技術よりも『移動手段』としての免許取得。または個々の生活需要での『移動手段』としての免許取得が伸び始めたことにより、『運転免許証』の社会的立場が変わり始めたのがこの頃からかと思います。

 自分の目標であった『自分のコピー』は必要無くなったんです・・・(と思ってしまいました)。これにより厳し目の指導は受け入れ難くなり、時期が進むにつれて『免許を買う』と感じられる生徒もチラホラ出始めました。これらにより指導員側もそれなりの対応をしていかないといけなくなりました。

 クルマが好きな自分としては、なかなか納得できず、今度は二輪の指導員試験を受験しました。『バイク』に関しては乗りたい人が免許をとりにくるはずだと思ったからです。

 実は自分は公道で原付以上の二輪車に乗ったことがありませんでした。でも運転技術に関しては毎日教習所内を練習することにより、速い運転スローな運転バランス感覚等を練習してそれなりに習得したつもりです。

 この二輪の練習に関しては、自分の後に中途採用で入っていきた同僚の先生(年上の方です。)に練習方法を教えてもらいました。この先生、異常にバイクの運転技術が高く、白バイのコースを白バイと競争したところ走破タイムを上回ったとのこと❗️www www www。

 一見見ただけでも運転技術が高いことはわかるほどでした。(普段はボ〜ッとしてるんですがwww)この人が自分の二輪の師匠です。

 この人からの課題をクリアしてくことでかなりの技術を習得することができました。今ではほとんど乗ってませんが、乗ればすぐに普通レベルの運転くらいできると思えるくらい身体に感覚が残っています。

 二輪の教習は思った通り楽しいものでした。免許が欲しいヤツら自信満々で現れてきます。ちょっと無免許で転がしていた子とか、二輪が好きで早く免許が欲しい子とか・・・。

 調子に乗って『自分はうまい』と思っている子に関しては、専用コースの外周を追いかけさせて回り、ついて来れるかやらせると殆どの子が2〜3周で前後入れ替わるくらいの差が出て、自分のレベルを認識して言うことを真面目に聞く(可愛いですねwww www www。)ようになりました。

 しかし唯一自分より上手い生徒が1名いました。この子は幼少期からポケバイでレースをしていたらしくバイクの扱いは素晴らしかったです。この子には素直に私からテクニックを教えてもらいましたwww www www。その子は礼儀も正しく免許を取るための勉強はしっかり取り組み、飲み込むことも早かったです。

 そんなこんなで教習所の『箱庭』で約7年を過ごしました。教習の面白さは徐々に減少していき仕事としての『やりがい』が少なくなっていき(自分は、ですよ。)、仕事としての運転指導、上手くやり過ごす仕事内容に変わってきたと自分の中で感じ始め、このタイミングで生徒からの『厳しい先生』とのクレームも重なり、離職を決意しました。

 教習所は『学校』として『生徒』を世の中に送り出す仕事としては凄く素晴らしい場所でした。現在はその体制が多少変わりつつあると思います。時代の流れもありますが、人口の減少、免許の不必要性拡大など、旧体制のものでは生き残れなくなっているのかなとも思います。難しいですね・・・。

 次回は初の転職。人生いろいろですね・・・。興味がある方、いつもありがとうございます。🚐💨

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