🚐💨 なんとか指導員試験にも合格することができ、晴れて正式に就職いたしました。自分はどちらかというと人に馴染むのが苦手。でも表向きは社交的に振る舞って一見馴染みやすい人格を振る舞っていました。(現在も同じかも)先輩指導員は全員が年上で、多くの『おっちゃん』の中に入り込む感じのスタート。同期もいない中、どうしていけばいいか、どう振る舞えばいいか、かなり迷いながらの始まりでした。 🚐💨
学生時代から事務所には入っていましたので、事務所の方々とは交流がありましたが、指導員の休憩室にはほぼ行ったこともなく、どのような状態か、どのような決まりがあるのか(人間関係、ナワバリ、派閥?とか)わからないところでした。
事務所には、責任者レベルの人が後ろの席、事務処理をする人が真ん中あたり、受付や予約対応を担当する人がカウンター席、そして新規受付の席が一番前の一番端っこ(自分がいた席)でした。所長は別室の所長室におられてたま〜に出てくるくらい。このような座席配置になっていました。
別室では託児室が設置されており、ここには託児所の専門の担当者が常時おられて毎時間生徒の子供を預かっていました。
少し離れたところに指導員休憩室があり、この部屋の奥に小さめの部屋で組合室がありました。通常のクルマの指導員は毎時間終わったタイミングで休憩室で休憩。組合の上層部の数人は組合室で休憩をとっていました。学科の指導員は、学科の教室の隣に準備室があってそこで休憩をする。
お昼の休憩時間には、指導員休憩室、組合室、学科準備室それぞれ昼食を取る人と、外に食事に出る人と分かれ、昼食後は洗車する人、そのまま休憩室で休む人、自分の教習車両で寝る人、次の授業の準備をする人・・・。
自分としては、まず居場所がありませんでした・・・。最初に入れた場所は託児所でした。ここの先生は託児室で昼食をとったあと指導員室で休憩を取る感じの流れだったので、この先生と一緒に指導員室で休憩はすることができて、すごく助かりました。でも食事に関しては、それぞれ座る席が暗黙の了解で決まっていて、なかなか入り込めず、1ヶ月くらいは自分の自家用車で食事してました。
託児所の先生のおかげで指導員室に自分の『席』ができたことで昼食をここで取ることができるようになり、その後離職するまでその席は確保できていました。(ありがと〜〜ww www wwww。)
自分が就職した数ヶ月後から、活発に新入社員が入り始めました。これは先輩方が高齢で数年後から退職される人が多くなり、人員の大幅な入れ替えのためでした。
新規で試験を受けて入ってくる人の他に、中途採用として他の教習所から来られる人もいました。2〜3年するとあっという間に自分の立ち位置は中堅に近い場所まで上がるほどの人員入れ替えがありました。
後から入ってきた指導員に関しては、この教習所では自分が先輩かもしれませんが、中途採用の指導員の方々に関しては、自分より経験値が高くレベルも違いました。この方々に指導に関してのいろんなこと教えてもらいながら、こちらからは、この教習所の暗黙の了解とかを教えながら仲良くなっていきました。
当時は仕事の拘束時間も短く、仕事が終わった後に遊びに行く、食事に行く(飲み?)時間がたくさん取れてましたので、ほぼ毎日遊びに行ってました。ちなみに当時の基本的な時間割は、1時間目が10時ごろに始まって昼に1時間休憩、19時が最終の1日9時間のコマ。定休日は月曜日。前の日にかなり飲んでも仕事に支障が出ない出勤時間でした。
今では考えられないほどの優遇体制をとっていたと思います。社会的にも免許は必ず取るものとなっていましたし、人口もどんどん増えてましたので経営状態も良かったのではないかと思います。
🏎💨 さて、次回はクルマの指導を始めた時の自分の思いと現実についてお話ししていきます。本日もありがとうございました。🏎💨
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