🏎💨 今までクルマに関するお話をして来ました。ここからはクルマに関する仕事にもついてきた生い立ちに焦点を移して思い出していきます。 🚐💨
高校時代、行き着けていた近所の『ローソン』(運転の師匠の店舗)で、F1やグループA、峠の走行などを教えてもらっていたところ、お手伝いはしていましたが正式にアルバイトをしていたわけではなく入り浸ってました。
そんな時、人手不足な時間帯があるので、入れるならちゃんと仕事をしてくれないか?とのお話が出て、少しお手伝いをすることになりました。これとだいたい同じタイミングで、『がんこ寿司』という店舗に募集がかかっていたので面接に行き、高校時代はほぼ毎日この2店舗で仕事してました。
当時時給は650円/h。高校生なら尚更でこれくらいが普通でしたwww www。事情があって育英会の奨学金を自分の小遣いに当ててもらっていたため(どうせ将来自分で返金するからと言われ)、散財しない限りお金には苦労していなかったのでアルバイトでもお金重視ではなく、体験重視で働いてました。
『ローソン』では今のようにシステム化されておらず、全て手打ちのレジ。仕事内容は今より簡単だったと思います。レジ打ち、宅急便、商品補充、公共料金受付、これくらいでした。仕事以外では前述して来ましたが、運転の基本を教えてもらったり、助手席体験をさせてくれたり。かなり刺激を頂きました。
『がんこ寿司』はバックヤードでの洗い物からパントリー(ドリンク系)、小鉢の準備だったかなぁ・・。料理長が全て管理しており、ある程度厳しく指導されながら仕事してたと思います。営業後の時間に新商品開発で酎ハイをミックスしながら、味、見栄え、コスト、名前とかを一緒に考えて、最終的に3〜4品目のカクテル酎ハイを作ったことは今でも覚えてます。
仕事以外?ではないかもしれませんが、『がんこ寿司』さんでは社員招待で無料でサーカスみたいなものを見に行った思い出があります。今でもあるのかな?
高校時代は、この2件でアルバイトをしながら生活をしていました。
大学受験のためアルバイトを辞めて数ヶ月、なんとか山奥の大学に引っかかり晴れて大学生になれました。この時はビリヤードにハマっており、アルバイトもビリヤード場だった店舗に確認もせずに電話で面接のアポイントをとりました。いざ店舗に行ってみると、以前は丸々ビリヤード場だったものが4台のテーブルを残してカラオケ店に改装されていました❗️
すでに面接に来ていることもあり、ビリヤードも4台あることだったので、そこで雇ってもらうことにしました。当時はカラオケが流行り始めたところで、機械もレーザーディスク、100円/曲(現金投入式)。今のように曲も新しいものも1ヶ月に1回のレーザーディスク入れ替えによるものでした。
それでもカラオケには、それなりにお客さんは来てました。ビリヤードに関しては、常連のセミプロ的な人が数人、ほぼ毎日来ていました。暇な時、もしくはオファーがあった時にはビリヤードのお相手をさせてもらって、そこそこ楽しみながら仕事してたことを思い出します。
閉店後はビリヤードもカラオケもやりたい放題、そこで朝を迎えてそのまま学校に行く、学校から帰ってくるとそのまま仕事に入る。そんな日々で実家にはほとんど帰らない生活をしてた思い出が蘇って来ます。たまに家に帰ると、弟が私より身長が高くなっていてビックリしたくらいですwww www。
大学時代の娯楽もこの仕事のおかげで殆どお金を使うことなく遊べてました。ちょうどこの頃はクルマの消耗品にかなりのお金がかかっていたので、娯楽にお金が掛からなくてホントに助かっていました。
夏の短期の仕事で、ジュースの缶工場に2週間ほど入りました。どうしても数万円が必要になり夜勤でラインの選別作業の体験をしました。グネグネ曲がっているベルトコンベアに空き缶が流されてきて、印刷のずれているものや、傷のついたものなどをハネる仕事でした。ラインには10人程度の人が並び、仕事に集中する為なのか、有線で音楽が爆音で流れていました。
夜勤というと、カクテルも好きで2年程度でしたが、バーテン🍸もやってました。シェーカーを振りながらショートもロングも定番のものに関してはサラッと振って作ってましたね〜www www www。
アルバイトは将来の仕事の体験及び練習と思いながら、責任感を自分なりに持って仕事にあたっていたつもりでした。(自分なりにですwww。)まぁ、慣れてくるにつれていつも全力でなくても、機転を使いながら上手く渡り抜ける方法もここで覚え始めました〜〜。www www www。
アルバイトとしての仕事はこれくらいかと。次回は最初に就職した『自動車教習所』についてのお話をしていきたいと思います。 🚐💨 ありがとうございました🏎💨
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