私が廃棄物に携わっていた当初では、『分別』も特に厳しくなく、殆どのものが『公共処分場』で処分できていました。
今では考えれないかもしれませんが、家電製品全般、粗大ゴミ全般、生ごみ可燃ゴミ系全般など、なんでも受け入れしてくれてました。大まかな分別としては『燃やせる』か『燃やせないか』程度で、2分別程度でした。
企業から発生するゴミも、その地域の『公共処分場』がほぼ受け入れてました。『産業廃棄物』という名のものは、本当に少なくそれでも何でもかんでも捨てれてました。
まず発生したものが、『医療系』の廃棄物でした。ここから発生する『針』や血液の付着したガーゼなど。これも当初は『一般廃棄物』で普通にゴミ袋に入れて袋が『ハリネズミ』みたいになっていたことを思い出します。
ここで事件。回収作業員が作業中に『針刺し』事故が発生、これももしかしたらそれ以前には『ちょっと怪我した』程度で済まされていた案件なのかもしれません。
そこから『医療機関』から発生する、血液付着物や手術関連の廃棄物などは『一般廃棄物』では処理できなくなり、『産業廃棄物』として別の処理をするように法律が変わってきました。『マニフェスト伝票』も当初のものは8枚綴りで(その後7枚綴り)記入科目も少なかったことを覚えています。
更に世の中で『最終処分場』の枯渇問題が発生。なんでも混ぜて捨てていた中、『焼却処理』もせずにそのまま『空き地』に『埋め立てる』処分方法だったのでそうなるのは見えてましたが・・・。
関東での『夢の島』ですね。ごみの山の映像が当初よくテレビでも発信されていました。そこからだんだんと『廃棄物』に関する法律が厳しくなり始めました。
政府としては、最終処分場の延命のために『そこ』に持ってくるものを減らすために『分別』『リサイクル』を推奨し始めました。
燃えるもの(燃やせるもの)燃えないもの(粗大ゴミ)、更に燃えないものの中から、不燃物系のもの(自転車や家電など)をリサイクル系として分別し、燃えるものからもプラスチック系のものを分別させていきました。
基本的に『埋め立てる』ものは『燃えかす』となるもののみにしていき、埋立地の確保をしていきました。そして埋立地を『山』から『海』に移すことで、『新しい土地』を作っていきました。
そして家電に関しても、『家電リサイクル法』とか取ってつけたような法律を施行し、テレビ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機の4品目を『別』のリサイクルラインとして作りました。
小型家電に関しても、更に細かく処理方法を考えてきていましたが、そこまですぐに世間が受け入れすることができず、4品目以外は個々の行政に任せるような感じでした。
空き缶、空瓶、ペットボトルこの辺も世間的に『分別』させるようになってきました。これらの『分別』を末端の『市民』までに要求してきたことで、それ以前に『業者』ができる限りで『混ぜこぜ』のごみの中から『分別』していた作業が、ほぼなくなったんではないかと思います。
実はこの辺のものを分別して処理する中で、現在では常識になっているかもしれませんが、『分別』したものを業者は『売却』して『利益』を得ていました。それが、末端の『市民』まで分別意識を持たせたことで『ゴミが売れる』ということが『バレ』ました www www www。
これに伴い、空き缶もアルミと鉄(ステンレス)に分けると売値が変わること、新聞紙、雑古紙、衣料なども売れること・・・、この辺も一般の『市民』が知ることになりました。
昔は『チリガミ交換』の車が結構走っていたと思いませんか?さて現在はどうでしょう。その通りです、仕事がなくなったんです。
行政が分別したものを回収業者に『買取』させて、それを『入札』で業者選定し始めたためです。そして行政は『ゴミ置き場』の不燃物持ち去りにも力を入れて、ゴミを『監視』するようになりました。
皆様がスーパーとかに持っていっている『ペットボトル』『牛乳パック』『プラスチックトレイ』なども、そのスーパーなどの収益になっています。
それらの分別を細かくすることで、『最終処分場』の延命処置をしてきたわけです。色々な流れをざっくり書いてきましたが、危険の少ない廃棄物に関してはこのような感じで現在の状況につながってきてます。
さてさて、次回は『医療廃棄物』について少し思い出しながら記載していきたいと思います。記憶の端々で思い出しながらの記載なので抜けていること飛ばしていることなどたくさんあるかもしれませんが、その辺はご容赦ください。www www www。
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